1000字ロングインタビュー「裸の時代〜僕がJr.だったころ〜」伊野尾慧

ジャニーズ入ったらおいしいもん食えんじゃん

両親のどっちに似てる?
「それが、どっちにも似てない。親に”似てなくね!?”ってよく言われたし。家族みんなAB型で、俺だけA型なんで、”拾ってきたんだよね”とかも、よく言われてた(笑)」

ハハハハハ。小さい頃、どんな子だったの?
「幼稚園入る前は、ホント近所の人から”女の子みたいな可愛い顔だね”」って言われてたらしくて。水遊びしててスッポンポンになったら、近所のおじいちゃんに、”あれ!?ついてるのか!”って言われたの覚える」

性格も女の子っぽい感じだった?
「性格は、のんびりしたコだったかな。俺は全然覚えてないけど、幼稚園の運動会で、みんなすげー全力で走ってるのに、俺だけニコニコしながら手を振って歩いてたって。お母さん、おばあちゃんから”あの子は大丈夫なんかえ”って言われたらしい」

競争心とかなかったんだ?
「テキトーっていうか、マイペースだったというか」

メンバーから、”平成の高田純次さん”って呼ばれる片鱗は、すでにあったと。
「自分ではそんなにテキトーだと思ってないんだけどな〜すげーよくよく物ごと考えるし。うーん、そうでもないか(笑)」

小学校時代は?
「”明るくてはつらつ、クラスの中心人物で笑いとをとったり、みんなを引っ張ったり”とかってタイプじゃ全然なかった。モテもしないし、運動も全然できなかったし。もう、フツ━━━━のコだったと思うんですよ」

運動、苦手だったんだ?
「幼稚園の時は真剣に走ってなくてビリでったけど、小学校じゃあ、本気で走ってビリだった。あ、1回だけ一番になったことがあって。その時は、いっしょに走ったのが偶然、ぽっちゃりばっかで(w)」

好きなコっていた?
「好きな子?みんな好きだったなー。”あの子もいいじゃん、この子もいいじゃん”って感じだった(w)」

そんな感じの小学生が、ジャニーズに入ろうと思ったのは?
「幼稚園の時にテレビ見てたら、若い子達が美味しそうな物をすげー食べてる番組がやってって。”この人たち何?”って、お母さんに聞いたら”ジャニーズの人たちだよ”って。”あ、”ジャニーズ入ったら美味しいもん食えんだ!”って思ったのがきっかけで。そっから、”お母さん、ジャニーズに入る!”って言い始めたらしい」

ハハハハハハハ
「お母さんは、そういう世界反対だったんですよね。がんばっても成功するかわからない世界だからって

反対を押し切って応募したの?
「ずっと反対してたんだけど、あまりにもずっとおうもんだから。俺の両親、やりたいことは、なんでもやらせてくれる感じだったんで、小5の時、ついに履歴書送ってくれて」

そうだったんだ。
「だから最初、俺はジャニーズに対して、テレビに出たら楽しそうってことと、美味しいものが食べられるってことしかなくて」

日常的なささくれを、お母さんが癒やしてくれてた

薮(宏太)くんが、オーディション会場で伊野尾くんを見て、「すっげーオシャレだった」って言ってたよ。
「えつ!たぶん、それ俺じゃねえ。かなりデフォルメされてる気がする」

じゃあ、これも薮くんが言ってたけど、自分アピールでKinKi Kidsの「フラワー」を歌って、すげー下手だったってのもデフォルメ?
「それは、ホント(笑)すげーヘタクソだったらしくて、高校生くらいになってもパカにされてたし」

オーディション受かると思った?
「うーん、全然そんなこと考えてなかったな。何も考えず受けてた」

じゃあ、実際に始まったJr.の活動はとうだった?
「最初、KAT-TUNだったり関ジャニ∞だったり、先輩を見ることがむちゃくちゃ多くて、すげー優しくていいお兄ちゃんたちだなって。仕事が終わったあととか、いっしょに中華料理に連れてってくれたりして」

そんなことがあったんだ。
「みんな、ステージではかっこよくて、すごいなって。俺、部活とか入ってたわけでもないから、先輩に憧れるっていうのは、それが初めてで。自分もそういう風になりたいな。後ろで踊ってるばっかじゃなくて、そっちに行きたい。マイクを持ちたいなって」

初めてマイクを持ちったのは?
「中学に入ったぼっかのころ。そんときは、すごく嬉しかったの覚えてる。’え!? 俺ももっていいの!’みたい感じで」

初めて歌った曲は何だったの?
「なんだったっけな〜。え〜やっべ記憶がない(笑)」

Jr.の活動は、順調だったんだね。
「あ、でも小学校5、6年生の時は、ほとんだ仕事に呼ばれなくて。夏休みとか冬休みのコンサートで。’大勢必要な時の人’みたいな感じくらいだったから。中学1年になって、ちょっと仕事が増えた感じで」


続く